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Timeline
Timeline 1981-2002 (Japanese Translation)
CPSRの歩み(日本語訳)
A Year-by-Year Review
(英語オリジナル)
1981 | 1982 | 1983
| 1984 |1985 | 1986 | 1987 | 1988 | 1989
1990 | 1991 | 1992 | 1993 |1994 | 1995 | 1996 | 1997
| 1998
| 1999
| 2000
| 2001
| 2002|
1981
- ゼロックスPARC(パロアルト研究所)にてコンピュータ研究者が集まり, 「彼らの研究生活と社会的関心を一致させるための」 組織の設立について話し合う.
- Severo Ornstein (訳注: IMPをつくったインターネット創設メンバーの 一人)がゼロックス所内の電子メールネットワークを使って,核戦争の脅威 を考えるオンライン討論グループをつくる.
1982
- オンライン討論用のメーリングリストの数人の参加者が, これまでの論点を扱う全国的組織(の本部)を設立する利点について 隔週のディスカッショングループを始める.
- ディスカッショングループの要請を受けて, ゼロックス社は核戦争によって提起された脅威についての テレビ番組に出資することに同意する.
- ディスカッショングループがスタンフォード大学で 公開ミーティングを行ない, Computer Professionals for Social Responsibility (社会的責任を考えるコンピュータ専門家の会) という名称の新しい団体をつくるための問題点と目標を定めた.
1983
- CPSR は正式な法人設立の書類を提出し,非営利団体(NPO)となった.
- CPSR法人設立の2週間後,レーガン大統領が Strategic Defense Initiative(SDI)を発表する.これはその後数年間にわたってCPSRの主要な焦点となる.
- CPSRニュースレターの第一号が出る.
- パロアルトのエマソン通りにCPSRの小さな事務所を開設する.
- パトアルト,ボストン,マディソン,シアトル,ロサンゼルスに5つの CPSR支部を開く.現在アメリカ国内に22の支部が開設されている.
1984
- 警報即発射(launch-on-warning)の防衛政策が憲法違反にあたると主張し, 国防長官 Caspar Weinberger と裁判を起こした Clifford Johnson 博士を支援する.
- CPSR事務所を運営する最初のスタッフメンバーを雇う.
- CPSRボストン支部が地方セミナーの傍らで 「戦場AIロボティックス」のデモンストレーションをする. このデモンストレーションはR2-D2歩行ロボットに看板をもたせて マスコミの注目を集めました. 「心配することはありません. 間違ひはありえないのです」(もちろん誤字はわざとです.)
- CPSR理事会の Severo Ornstein, Brian Smith, Lucy Suchman が Bulletin of the Atomic Scientists にて 計算機を使った軍事戦略計画に対する批判を発表する.
- サンフランシスコにてCPSRのはじめての年次大会が開かれる.
1985
- Gary Chapman をCPSR初代事務局長として採用する.
- CPSRメンバーの James Horning, Anthony Ralston, Stephen Zilles が全米計算機協会(ACM) の委員会に 「社会にコンピュータシステムの信頼性とリスクについて 技術的な憂慮を調査し報告するために」参加する. この委員会の報告はCommunications of the ACM2月号に 掲載される.
- Trivial Pursuit (雑学クイズ形式のボードゲーム) が流行した後, CPSRロサンゼルス支部はコンピュータのリスクと信頼性について 「これはトリビアルではない」"It's Not Trivial." と題した Q&A形式のカードを出版し,全米のCPSRメンバーに配布した.
- CPSRメンバーがSDIにおける計算機面の問題点を Abacus magazine や Atlantic Monthly に掲載した.国防省がSDIの命令と制御のソフトウェアの実現可能 性を向上させるためにイーストポート委員会を召集したが,David Parnas が実現 不可能な任務だと主張して委員会を辞任してから,SDI問題は主なメディアの注目を集めるようになった.
- CPSRボストン支部がMIT(マサチューセッツ工科大学)において SDIのソフトウェアについての初めての討論を行ない, 1300人を越える聴衆が集まった.
- CPSRが最初のアメリカ国内問題の顧問委員会を発足させる. いまやこの委員会メンバーのうち4人がチューリング賞とノーベル賞を 受賞している.
1986
- CBSイブニングニュースがSDIについて Gary Chapman にインタビューする.
- Severo Ornstein が公共ラジオ放送の "All Things Considered" に出演する.
- CPSRボストン支部が slide show "Reliability and Risk" を製作する.国家防衛においてコンピュータ技術を盲信 する危険を描いた本作品は,ニューイングランドマルチイメージ 製品協会のゴールドメダルを獲得した.
- プログラムディレクターの Mary-Karen Dahl とディレクターの Marc Rotenberg が CPSRの市民的自由(行政権力の恣意的な干渉からの 自由)に関するプログラムをはじめた.
- CPSRパロアルト支部が仕事場でのコンピュータに取り組む ワーキンググループを組織した.
1987
- Don Edwards 議員が, FBIの国立犯罪情報センター(NCIC)提言について 市民的自由との関わりについて討議する専門家委員会に CPSRの参加を要請する.(1989年の活動参照.)
- CPSRの最初の研究集会 "Directions and Implications of Advanced Computing (DIAC)" が開かれる. この大会は現在ではNSF(全米科学財団)と専門家や産業界の支援によって 2年おきに開かれている.
- SDI構想への勇気ある反対活動を讃えて,David Parnas が CPSRの第一回ノーバート・ウィーナー賞に選ばれる.
- David Bellin と Gary Chapman の編集によって, CPSRの最初の書籍,Computers in Battleが出版される. (訳注: 邦訳は増田祐司訳 『アメリカのミリテク(軍事技術)戦略: 戦場のコンピュータは機能するか?』 HBJ, 1989)
1988
- CPSRの第二回DIAC大会がミネアポリスで開催され, ソビエト連邦から2人の計算機科学者が参加した.
- IBMに勤務するCPSRメンバーが, IBMに南アフリカとの取り引きを止めさせる株主決議の発起人となる.
- CPSRポートランド支部がコンピュータを使った選挙集計に生じる 不正確さや不正行為の危険性についての報告書を出版した.
- プライバシーと市民的自由に関わるCPSRの活動センターとして,Marc Rotenberg の指揮の下で新たにワシントン事務所を開設する.
- コーネル大学の大学院生 Robert Morris によるインターネット・ワーム事件の 直後に1988年の大会がパロアルトで開催された. 会場でCPSRのインターネット・ワームについての声明が作成され, 広い範囲の書籍や定期刊行物に多数収録された.
- MITの名誉教授でありComputer Power and Human Reason (役注: 邦訳は『コンピュータ・パワー: 人工知能と人間の理性』)の著者でもある Joe Weizenbaum が1988年ノーバート・ウィーナー賞を授賞した.
1989
- パロアルトにて"Computers and Education"会議を開催する.
- 議会公聴会での証言も務めた2人のCPSRメンバーによって, FBIのNCICコンピュータシステムについての報告書がまとまる. 報告書ではFBIが犯罪にかかわっていない個人を追跡(track)することに強く反対している.CPSRの報告が公開された直後,FBIは追跡提言を撤回した.
- 政治的主張をする団体が使うコンピュータ掲示板を監視しようと しているのかどうか,情報自由法(FOIA)に基づいてFBIに情報請求を行なう. (1990年の活動参照)
- CPSRのGary Chapman事務局長がソビエト連邦を訪問し, 「コンピュータ,ペレストロイカ,グラスノスチ」について詳細に報告 する.
- CPSRニューヨーク支部が他の非営利団体が会員事務手続きを自動化するのを助ける MEMBERS ソフトウェアを開発する.
- Communications of the ACM 8月号に CPSR会員の Doug Schuler と Jon Jacky による社会的責任を扱う特集が掲載される.
- コンピュータサイエンスにおいて女性が 直面する問題について, CPSRパロアルト支部が研究会を発足させる.
- ワシントンDCでの年次大会で, 常勤事務局長を務めるKaren Nussbaumが 職場でのコンピュータの監視について基調演説を行なう.
- Dan McCracken が1960年代に 対弾道弾ミサイルシステム(ABM)開発に反対するコンピュータ科学者を 組織した功績によって1989年のノーバート・ウィーナー賞を受賞する.
1990
- CPSRの Workplace Project がシアトルで第1回の Participatory Design Conference を開催し,9か国から180人が参加した.
- FBIに対して,コンピュータ掲示板の監視についての情報請求を行なった 情報自由法(FOIA)への応対に間違いがあるとして訴訟を起こす. 新しく設立されたElectronic Frontier Foundation(EFF)から, 電子メディアにおける 市民的自由とおよび 憲法で定められた権利の保護に関わる作業の遂行支援のために $275,000 の2年間の基金を受け取る.
- CPSRワシントン局長のMarc Rotenbergが 議会においてコンピュータウィルスの問題点,データ保護委員会の必要姓,情報へのアクセスについて証言する.
- マサチューセッツ州ケンブリッジで第3回DIAC会議を開催する. もっとも話題になったイベントは, 「バーチャルリアリティ」とその含意 についてのパネルだった.
- CPSRメンバーの Batya Friedman と Terry Winograd が「コンピュータ と社会的責任」についての多くの専門学校や大学で行なわれた 教材の集成を出版した.
- CPSR事務局長Gary Chapmanがを21世紀プロジェクト開始し, どうすれば科学技術政策が軍部から次世紀の人類が必要とするものへと 方向転換しうるのかという問題にとりくみはじめた.
- ノルウェーのKristen Nygaardが 職場で使われるシステムの設計プロセスに働き手を 導入した功績で1990年ノーバート・ウィーナー賞を受賞する.
- CPSRポートランド支部が第1回Computers and the Environment (CATE)会議を開催する.
1991
- デジタルな領域での言論の自由と犯罪捜査のやり方について, 多くの支持者から代表を招いた政策討論会をワシントンで開いた.
- CPSRからの根強い草の根の圧力を受けた後,ロータス社は Marketplace:Households を市場に出さないことを決定した. この製品は1億2000万のアメリカ人の個人データを含むものだった.
- ニューヨークタイムズに湾岸戦争での技術の用いられ方を批判する広告を出す. 見出しは「We've seen smart bombs -- let's see human intelligence.」
- サンフランシスコでの第1回 Computers, Freedom, and Privacy を後援する.
- 設立から10年にわたる業績を讃えて,1991年ノーバート・ウィーナー賞を Severo Ornstein と Laura Gould に授与する.
1992
- エレクロトニック・コマースに焦点をあわせた第4回DIAC大会を バークレーにて開催する.
- 人権,軍事予算の危険性,そしてカリフォルニア大学バークレー校 での女性の再入学プログラムにおける功績によって1992年のノーバート・ウィーナー 賞が Barbara Simons に授与される.
- 第2回 Participatory Design Conference がMITで開かれる.
- CPSRの主導的メンバーが Aspen Institute が後援する高度技術サミット会議に出席する.
- CPSRバークレー支部が情報・技術政策の総合的綱領を公表する.
1993
- クリントン次期政権に対して技術政策についての電子メールを送るよう CPSR会員に呼びかける. 1200通以上のメッセージがホワイトハウスに届けられた.
- CPSR代表の Eric Roberts が国家情報基盤(NII)についての McNeill-Lehrer のニュース番組に出演した.
- CPSR理事会メンバーの Jim Davis がコンピューティング分野における労働者問題について議論する CPUニュースレターを刊行した.
- CPSRアクティビストの Doug Schuler と Aki Namioka が Participatory Design: Principles and Practices と題した書籍を出版した.
- CPSRの21世紀プロジェクトとして "Setting a New Course for Science and Technology Policy" と題した長い報告書を発行した.
- 世界規模の電子的コミュニティを設立した業績を称えて, CPSRから 1993年のノーバート・ウィーナー賞が Institute for Global Communication に贈られた.
- CPSR,"Serving the Community: A Public-Interest Vision of the National Information Infrastructure." を 公表.
1994
- NIIを主要な論点とした第5回DIAC大会がCSPRによってケンブリッジで開催された.
- CPSRによる「クリッパーチップ」への反対請願書に50,000人以上が署名した.
- CPSRと Fund for Constitutional Government が合同出資者となって Electronic Privacy Information Center (EPIC, 電子プライバシー情報センター)を設立し, CPSRワシントン事務局の業務を移した.
- CPSRシアトル支部が Seattle Community Network を設立した.
- 恵まれない人々へ技術への訓練とアクセスを提供することを目指す Playing to Win での活動を称えて, 1994年のノーバート・ウィーナー賞が Antonia Stone に贈られた.
- 北カリフォルニアの Durham で第3回 Participatory Design Conference が開かれた.
1995
- メンバーがまとまって共通の問題に取り組むためにワーキンググループを発足させる.その後ワーキンググループは教育,サイバーライツ,市民的自由,コンピュータ産業の4つができる.
- CPSR/Chicagoが「技術,職業,コミュニティ」会議の開催に協力する. 議事録は21st Century Books から "Job-Tech: The Technological Revolution and Its Impact on Society" として出版された.
- CPSRアクティヴィストのCoralee Whitcombが通信とコンピュータとの社会普及に関する電子出版,Telecom Postを設立する.
- シカゴでの年次大会が「善悪とインターネット」に関して開催される. CPSRの大会ではじめてのWWW中継が行われた.
- 1995年のノーバート・ウィーナー賞が Tom Grundner に授与される. 彼はNational Public Telecomputing Network と Cleveland Free-Net の設立者であり,世界各地でコミュニティのネットワークを立ち上げた.
1996
- 1996年通信法改正案をめぐって懸念を表明する公共支援団体の大規模な連合にCPSRも参加する.
- パロアルトで開催された15周年記念夕食会で,理事会を離れる Terry Winograd と Eric Roberts を表彰する.
- 「通信品位法」違憲裁判(ACLU vs. Reno)の原告団にCPSRも加わる.
- CPSR理事会メンバーの Steve Miller の著書 Civilizing Cyberspace: Policy, Power, and the Information Superhighway が Addison-Wesley社 から出版される.
- CPSRチェアをつとめる Doug Schuler の著書 New Conununity Networks: Wired for Change が Addison-Wesley社 から出版される.
- 第4回の Participatory Design Conference がマサチューセッツ州ケンブリッジのMITで開催される.
- PGP (Pretty Good Privacy)の開発,公開配布,そしてその結果として3年間にわたる政府機関との問題に対峙したことに対して,Phil Zinunermann に 1996年のノーバート・ウィーナー賞が授与される.
1997
- 第6回DIAC大会をシアトルで開催する.第1回大会(1986年,シアトル)から10周年目. "Community Space and Cyber Space: What's the Connection" と題した大会はDIAC最大の400人近い参加者を迎えた.
- CPSRはインターネットの統治をめぐる新しい試みとしてIETFにてインターネットドラフト "One Planet, One Net: Principles for an Internet Era." を発表する.
- ACLU vs. Reno の違憲裁判において政府に対する訴えが最高裁によって明確に支持された. (通信品位法違憲判決)
- CPSRの年次大会がバークレーにて開催され,"Net Worth, Net Work"として新しく出現したEコマースにおける問題について取り組んだ.
1998
- Ethics, Environment and Cyberlawのワーキンググループが発足した.
- CPSRの Community Networks project が開始された.
- 新しくミルウォーキー支部,ミシガン支部が発足した.
- NITAの"Green Paper for Internet Governance."に対してコメントを提出した.
- CPSRの年次大会 "One Planet, One Net: The Public Interest in Internet Governance"がボストンで開催された.
- IETF(インターネットエンジニアリングタスクフォース)がノーバート・ウィーナー賞を受賞した.
- CPSRは "Domain Name Resolutions: CPSR Proposals for the New Corporation" を発表した.
- CPSRは "Internet By-Laws: Ana Analysis and Critique of Three Proposals" を発表した.
- ボストン公共テレビの番組"Everybody's Internet"でCPSRがとりあげられた.
1999
- CPSRはインターネットガバナンスに関する大規模な大会"Governing the Commons: The Future of Global Internet Administration"を開催した.
- オハイオ,カナダ,ヨーロッパの支部が設立された.
- インターネットのドメイン名について,CPSR, EFA, and FrEE が WIPO(World Intellectual Property Organization)にコメントを提出した.
- CSPRの年次大会"The Internet Gold Rush of '99: Can We Pan for Gold While Serving the Public Good?"がスタンフォード大学にて開催された.
- UCITA法案(Uniform Computer Information Transactions Act)に反対する同盟 4CITE の結成にCPSRが参加した.
- CPSRはフリーソフトウェア運動/オープンソース運動に対してノーバート・ウィーナー賞を授賞した .
2000
- ワシントン大学にてDIAC大会 "Shaping the Network Society: The Future of the Public Sphere in Cyberspace" が開催された.
- 横浜のICANN会合に参加し,Cyber-Federalistを定期的に発行する Internet Democracy Project を共同で発足させた.
- CPSRはインターネットガバナンスにとりくむ CivSoc プロジェクトを発足させた.
- アフリカ支部が新しく結成された.
- CPSRは定期機関誌,PING! の発行をはじめた.
- CPSRは Virginia Internet Technology 2000 conference において, UCITA法案への反対を表明した.
- CPSR年次大会"Drawing the Blinds: Reconstructing Privacy in the Information Age"がペンシルヴァニア大学にて開催された.
- EPIC(電子プライバシー情報センター)のMac Rotenbergがノーバート・ウィーナー賞を受賞した.
- CPSRによる学生作文コンテストが始まる.
- CPSRはニューヨークで開催されたParticipatory Design Conference"Designing Digital Environments: Bringing in More Voices"を主催した.
2001
- リサーチトライアングルパーク(ノースカロライナ),スペイン,ウガンダの 3つの支部が新たに結成された.
- 国土ミサイル防衛システムの欠陥を公表した功績により, セオドール・ポストルとニラ・シュワルツが ノーバート・ウィーナー賞を受賞した.
- ミシガン州アンアーバーにて20周年を記念する年次大会"Nurturing the Cybercommons, 1981-2001"が開催された.
- CPSRは米国議会のインターネットコーカスに対して, 国家の安全保護とその通信インフラストラクチャへの影響に対して,現在と将来とにおけるコメントを提出した.
- CPSRはボストンとパロアルトにて「アクティビスト円卓会議」を開催し, CPSRのプログラム運営や組織についてメンバーが議論する機会を持ちました.
- CPSRはサイバースペースにおける市民的空間を促進するための Public Sphere Project を開始しました.
- CPSRは組織をあげた研究分析として, "Security, Technology and Social Impact in the Aftermath of the September 11, 2001 Terrorist Attacks, How Can CPSR Participate?"を開始しました.
2002
- 日本支部が新しく結成された.
- 2002年を振り返って
Created by
syamane
Contributors : rrice, 1988., bressler. 1995., pweston, 1995., eroberts, 1995., Paul Hyland. 2002.
Last modified March 20, 2005 07:07 PM
Contributors : rrice, 1988., bressler. 1995., pweston, 1995., eroberts, 1995., Paul Hyland. 2002.
Last modified March 20, 2005 07:07 PM